五反田のウェブ&グラフィックデザインスタジオ:コスミックエンジンの社長ブログ

カテゴリー:経営ごと

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教育と経営:教会の礼拝で思ったこと

writer meijin writer 2010年04月26日 13:46

息子の幼稚園はキリスト教(バプテスト教会)系だ。
僕ら夫婦や息子の性格を考えて、お受験系の幼稚園を避けた結果の選択でもあったが、僕自身の幼児教育がやはりキリスト教系だったこともあって、良い選択だと思っている。
僕はノンクリスチャンだし、むしろ無宗教なのだが、宗教の魅力は十分理解しているつもりだ。宗教とは「よく生きるために」という知恵のかたまりみたいなもので、人間の生きる根幹として大切な哲学を含んでいる。
正直、キリスト教のような一神教には少し馴染めないところもあるのだが、教義のもとに生きている人たちをうらやましく思うこともあるし、考え方や態度に触れることは大変参考になるものだ。

さて、その幼稚園では月に一度、合同礼拝といって園児とその父兄を集めての礼拝がある。
ノンクリスチャンの我々も交えて、お祈りをし賛美歌を歌い、宣教を受ける。
以前に数度、何かの機会に礼拝に参加したことがあって、その時間と空間をとても好きだと思えたものだ。自身の幼稚期の記憶が作用しているのだろうか。
普通、結婚式以外ではこんな機会も滅多にないと思われるが、これから3年間毎月礼拝の時間がある。実は、密かに楽しみにしていたのだ。

先に触れたとおり、自分にとって神=イエスではないので、若干の違和感はあるものの、思っていたとおり非常に良い時間が過ごせた。
今回の宣教では、僕らのように新入園児の父兄向けに、幼児教育の大切さと、その土台としてのキリスト教の(教義の)大切さという話だったが、キリスト教を一つの哲学だと考えれば非常に合点のいくものであった。

また、教育者についての話として、ひとを導く事の大変さと責任について説かれていたことも印象的だった。
僕は教育者ではないが、経営者として社員を導く責任がある。経営者が社員を導くとしたら・・・その土台にあるのは、経営者の哲学だ。
戦術レベル、あるいは(あまりよろしくないが)戦略レベルでの失敗はある程度許されるのが経営であるが、経営の根幹である「哲学」が間違っていたら、責任は重大である。
経営者は、時間や空間は限定的であるにしろ、社員の人生を預かる立場でもあるからだ。

宣教の話題に戻そう。宗教を土台にした場合、教育の哲学は教義にゆだねられる。教育者の哲学は、この土台の上に立ったものだ。
これは、個々の教育者の内にあるブレを修正する作用もあろうが、全体として一つの教義の上に立っていることなので、こういう言い方はなんだが非常に合理的なように考えられる。
いや、キリスト教の場合、そうした点がはっきりと合理的なんだと思う。
教育も仕事も、基本的にはある1点を目指しているというイメージ。そして、そのイメージを全体が共有している。これってすごいことだと思う。

よく、「宗教っぽい会社」みたいな話があるが、イメージ共有をうまく進めている会社なのかなって思う。イメージの向かう先が何なのか、気になるところだけど。
--
そんな風に、自分自身を振り返ってみたり、様々な事象を分析してみたりして、その時間を楽しんでいる。

人生の終わりを想像する:自己実現の先にあるもの

writer meijin writer 2010年04月27日 11:11

日曜の礼拝で感じたことの続きなのだが、クリスチャンのミッションは、イエスの弟子を増やし、その弟子がまた弟子を増やしていく・・ということだろう。
僕がダンスでお世話になっている新宿シャローム協会のサイトから引用すると、
「愛において成長し、福音を伝え、 弟子を作る」
ということに、彼らの活動は集約されている。

そのように、神に遣わされて神のために働くことが、彼らの人生の目的なのだと思う。
僕の勝手な想像ではあるが、神のために十分働くことが出来たと感じれば、幸せに人生を終わることができるのだろう。

一方、そのような目的を持たない人たちは、人生において「目的づくり」に四苦八苦している。自分らしさとか、自己実現といったことばかりを追い求め、仕事の中にしか幸せを見いだせないように自分を追い込んでいる人が多いのではないか。
自分らしさにも自己実現にも、それに先んじて「何のために」という目的が存在するはずだが、それが「自分のため」という「目先の利益」だけということになっていないだろうか。

自分の能力を開発して、仕事の能率を向上し収入を上げる。

それ自体はすばらしいことだが、これが「自分のため」だけだとしたら、その人の幸福は周囲に及ばない。そのように波及しない、その人だけの幸福というのは、ピークが過ぎれば一瞬にして終わる。目先の利益も同様だ。あぶく銭は身に付かない。

そもそも、自己実現の道半ばで、肝心の「自己」を見失ってしまう人も多いのではないか。
確固たる自己を持たずに、自己実現を目指すことは不可能であるし、目先の利益を過剰に追うことは、非常な精神的苦痛を伴うことが多いからだ。

こうしたことは、今の世相に反映しているし、今の経済の病みとも似ているように思う。
「こうありたい自分」を追いかけるのは、向上には欠かせないことだけども、その先に何があるか・・・考えなければならないだろう。

そういう意味で、人生も経済も、そして経営も同じだ。
会社という人格の生きる目的を、目先の利益に設定してはならない。
人生も、会社経営も「最期」をどうするか。これが肝心なんじゃないだろうか。

選択と集中

writer meijin writer 2010年04月28日 11:45

会社で新体制をつくって動き出している。
もとがフリーランスの集合という形態であったから、このシフトチェンジにはなかり時間を要した。
フリーランスの集合というのは経営実態は「個人」であって、リスクシェア|コストシェア|プロフィットシェア|の関係で言えば、個々に限定的なリスク(自分の売りが減れば収入が減る)こと、限定的なコスト(事務機や場所などを共有して、人数割りする)することで、個々の利益を最大化するというビジネスモデルだ。

はっきり言って、独り立ちできるデザイナーにとっては、これは非常にわかりやすい。
売りが伸びて、利益が出ているうちは問題が起きにくい。
まぁこれは、どんなビジネスモデルでも言えることだが、リスクシェアというのは非常にわかりにくい。明確な危機状態が初期に訪れれば良いのが、順調な時期が先に来てしまうと、リスクに対する責任の所在が曖昧になる。
シェアしているはずのリスク・・・が、誰かに転嫁される。この時点で、先のビジネスモデルは終了である。シェアされるべきリスクは、厳密に明文化しておかなかれば機能しないのだ。
「〜であるはず」というのは、時に都合良く運用されるからだ。

逆に、プロフィットシェアというのは感覚的につかみやすく、求めやすい。ようするに「利益ちょうだい」ということだけのように感じるからだ。
が、それは本当に「シェア」なのか。リスクとコストを相応に背負った上での要求なのか。
これを考えるのは、非常に難しい。実質のリスクは一般社員は負うことが出来ないし、少なくとも経営的観点がなければ理解することは不可能だろう。

それでも、これら3つの「シェア」というのは、いずれの場合でも存在する。その範囲が限定的になるだけで、その設計と認識が重要ということだ。簡単に言えば、仕事に明確な責任を持たせる。そしてその意味を知ると言うことだ。

そういうわけで、3年前から新たなモデルの構築を目指し、動いてきた。
今期までに、核となる人材を獲得し、ようやく新たなモデルへの移行を果たそうとしている。
簡単に言えば、これまで個々でバラバラに動いていたものを、ある特定の目的別にグループをまとめ、グループごとのマネジメントというかたちにしている。

僕以外は基本的に一般社員(グループリーダーは執行役員とする予定)であるのでリスクの範囲は限定的だが、数値目標を持たせてプロフィットをシェアするためのリスクというのが見えやすくしてある。

現時点で見えている課題もある。
この体制は、効率的な生産を非常に求める。ともすれば合理性一辺倒になりがちでもある。
時間はある程度自由に使えるべきというクリエイティブの要求もある。
ここは鬩ぎ合っていけば良いと思う。
効率を求める商業としてのデザインと、本来的に非効率なものであるクリエイティブというのは、トレードオフの関係にある。どちらか一方というわけにはいかないのだ。

まぁ、どちらかといえば非効率な世界の中で、効率的な生産を求めるというのだから工夫が必要・・・という言い方の方がやさしいかもしれない。
そのための体制、という言い方も出来る。
グループ分け自体「選択と集中」によって効率を上げようという考えに基づいているし、
事業自体もウェブへシフトしている。これも「選択と集中」だ。

--
余談になるが、会社の組織形態によって、社員の意識というのは非常に変わるものだと感じたことがある。あるカンパニー制の企業の課長クラスの方と仕事をさせてもらった経験があるが、経営的投資という感覚をしっかり持っていらっしゃった。年代的には僕と変わらない方である。カンパニー制という会社の体制が、狙い通りしっかり浸透しているのだなと大変興味深かった。
一方で、部署制、事業部制の同年代からはそういう視野の話をあまり聞いたことがない。
やはり、目的意識とそれに向かう組織体制というのは非常に重要なのだ。

マクドナルドの新戦略:これが経営というものだろう

writer meijin writer 2010年04月29日 12:13

マクドナルドが、大規模な店舗削減をするようだ。
好調マクドナルドが433店閉鎖、4月開業の“次世代店舗”はこれだ

このニュースには、ちょっと感動している。
もちろん、不採算店舗や投資効果の見込めない店舗の切り捨てということでは、ごく当然のように思えるが、業績好調なマクドナルドにあってこれをやるという決断。市場変化を捉えて先んじて動く。これがすごい。

コストカットという側面もあろうが、これから縮小していくであろう日本市場
への対応としては、将来を見据えた非常に有効な投資活動だと思う。
投資活動だから「損切り」もある。これの見極めがなかなか難しいものだ。
それに、量的拡大を目指すことだけが投資の目的ではない。特定の市場のなかで利益を生むことを目指すのが投資である。僕にはそういうメッセージに思える。

実際、会社経営というのは投資によって成り立っている。
投資というと、有価証券等への投資をイメージするかもしれないが、そうではない。
例えば人材の獲得や設備投資等目に見える部分もあるが、将来にわたり利益を生み続け、存続していくための活動全てが投資だ。
利益を出せる商材を生むための研究開発(時間的投資含む)、あるいは人材の育成(教育)などがこれにあたる。これらは会計上はコストであるが、実質は投資である。この投資によって、受益の権利を得ることが出来る。

得られた利益は、再投資され、次の利益へつなげる。
これが会社の成長サイクルであって、会社が存続し行くことを意味する。

前回リスクシェア|コストシェア|プロフィットシェアにつてい触れたが、この投資活動というのがシェアされるリスクの正体だ。「負債」という目に見えるリスクも存在するが、これは社員が負うことのできないものだ。
投資に失敗すれば当然損をする。直接的金銭のような短期的損失でないから、タチが悪い。
例えば・・・自身の経験から考えると、仕事が減る、仕事を失うというのは、それに直面した状態からみると外的要因のように思えるが、長期的に見れば投資の失敗という内的要因によるものだ。投資先を間違えたか、その際リスクヘッジしなかったか、あるいは投資していなかったかのいずれかだろう。

「負債」をシェアできないのと同時に、社員というのは投資される側という側面も含んでいるため、リスクシェアの範囲は限定的になる。反対に、プロフィットシェアも限定的ということではあるのだけど。

以上、投資なくして存続無しというお話。これは成長戦略とほぼ同義かな。
成長戦略というのは、量的成長のみを指すのではない。
そういう意味で、マクドナルド原田CEOはやっぱりすごいなぁ。。と思うニュースだった。

社会は厳しいもの?:自らの経営理念についての考察

writer meijin writer 2010年05月06日 18:42

会社を設立したときから、経営理念については常々考えている。基本的に変わることはないのだが、自分の掲げる理念は非常に内向きのものだから、外部環境とのバランスという点において非常に難しいため、時折再確認している。

その理念とは、クリエイターにとって、社員にとって働きやすい環境を提供する、ということだ。クリエイティブそのものに向けたメッセージではないが、このことが結果的に良いクリエイティブを作り上げることに繋がればよいと考えているためだ。

言うは易し。僕らの商売はクライアントとの関係で成り立っている。まして、ほとんどの案件は代理店や大手制作会社を介しているため、エンドクライアントと直接折衝出来ないケースが多い。
こうなると、労働条件に対する僕らの主張というのはエンドクライアントに届きにくく、またどれだけ過酷な状況であるかについて理解が得にくい。

例を挙げよう。
僕らの仕事での「クォリティ要求」は、クライアントの好みや感覚が無視できない要素となる。機械加工品等と違うところだ。
労働の本質は時間の切り売りだが、クォリティを満たさなければ成果物として納入ができない上に、仮にクォリティ要求を満たすために超過した時間があったとしても、それは制作会社の責任であるとされることがほとんどだ。この超過時間については無報酬というのが業界の常識だろう。

次に労働時間について。これも同様に、期日までにクォリティ要求を満たす成果物を納めるという契約と、先に挙げたクォリティ問題、また無報酬の労働時間に対する埋め合わせとして残業をせざるを得ない(売上げを確保しなければならないため)ということが複合して、一般にクリエイターの労働時間は極端に長い。無報酬の時間があるから経営としては残業代を支給するような余力も生まれない。

発注先の意識もまずい。業務委託という性質上、労働法に感知しない(だいいち現場の担当者は労働法なんて知らない)うえに、彼らの購買意識は「成果物」にしか向かない。そのため、闇雲に様々な軸のない要求をしてくるし、そこにコスト感覚は微塵もない。

クリエイティブ、デザインというのは価格も品質も価値基準が曖昧(「権威」があれば別)なサービスゆえに、デザインの現場の多くはこういう惨状となる。
それでも、デザイナーは自らのスキルアップのためと黙って働き続ける。合理的に考えれば明らかにおかしな状況だというのに。
会社をつくるにあたって、働きやすい環境を、と考えたのはこうした背景があり、長年疑問を抱き続けていたからだ。

これは、外からは「甘やかし」ともみられるが、会社としてビジネスとしてまともであろうとしているだけだ。
だいたいが気持ちやノリだけで動かそうという業界だから、旧態然とした方々には理解を得られないだろうし、当のクリエイターたちがクリエイティブは労働法の及ばない聖域みたいな意識で過酷な環境に身を置いている。「効率化」と「素晴らしいクリエイティブ」はトレードオフだと思っている。それが「社会は厳しいもの」なんていう通念と一緒くたになって、正しい方向へ進むことを阻害している原因なんじゃないだろうか。

もちろんデザイナーの経験やスキルによっても状況は異なるし、別に残業や徹夜することが悪だと言うつもりはないが、そこに必然性があったのか否か、考えるべきだ。事前に回避できることであったなら、マネジメントの失敗を反省すべきだろう。デザイナーのためになったなどと考えて見過ごしてはいけない。
社会が厳しいなんてのは、皆わかっていることだ。社会の厳しさはその評価性にある。労働時間的に頑張りましたってのは無くはないけど、本質的な問題ではない。それよりも、そのことによる妙な達成感に満足してしまうことの方が危険だ。
本質的な評価を高めるための努力は厳しくなければならない。が、その上で楽しくなければ何のための仕事か。
そのための労働環境整備が必要だと思っている。これは会社内だけでは解決できない問題を含んでいるから、利害関係者を巻き込むようにしていかなければならないだろう。

一方、基準が曖昧なようなクォリティ要求に関しても、実は合理的なマネジメントの方法がある。アイデア出しの効率化というのも手法がある。
これらを利用した業務の効率化と品質のマネジメントと、顧客との関係を含めたプロジェクトマネジメントの2つが環境整備の柱だ。
効率化によって時間的余力を生むというのは、金銭的余力を生むことと等しい。余った時間は将来への投資とすれば、組織は継続して活動することが可能だ。だとすれば、経営理念としての機能は今のところ保たれていると考えられる。

社会は厳しいもの?:追記・倫理の壁

writer meijin writer 2010年05月10日 13:05

なんとなく気分で文体を変えてみます。

前回のブログで、自分の経営理念をたなおろししながら、業界の悪癖について触れましたが、
週末にツイッターやテレビ(NHK:ハーバード白熱教室)を見ていて、再考したことがあるので追記することにしました。

人間は、苦痛を避けて快楽を求める。これは真理であって避けがたいことですが、快楽の追求だけに偏らぬように理性というものが働きます。単純に言えば、この理性を社会的に共有しているものが倫理(道徳性)だと言えるでしょう。

倫理(道徳性)は社会システム(制度)以前のものとして存在しますが、多くの法は倫理を制度化したものではないでしょうか。そうしなければ、倫理を無視して利潤を追求したり、人としての尊厳を無視して社会をコントロールするものが現れるためです。まぁ、法があったとしてもそういう人は現れるのでしょうが。。。

これは昨日テレビで見た「ハーバード白熱教室」でのカントに関する解説から引用・・・最近はあまり哲学に触れていなかったので、自分の解釈が足りないところは多々あり、論ずることに不安もありますが・・・自由とは何かというカントの思想の中で、行為の道徳性は動機で決まる、すなわちそれは義務に従って行動することだ、というくだりがありました。要するに個人の損得を計算した行動は道徳的ではないという事ですかね。

私の経営理念は、基本的に内向きの思想であるようにも考えられますが、アウトプット自体は外に向いています。「良いものを提供するために」というのがそのアウトプットで、これも目的と考えられますが、僕の場合はそれ以前に「働き手の幸福」という目的があります。「幸福」といっても、金銭的な幸福と言うことではない・・・完全に金銭と切り離されたもので無いにしろ、そこは主眼ではない。クリエイションや協業の喜びと、それに見合う対価をもって、働きやすさや働きがいを実現しようというものです。当然、そこに何某かの苦痛を伴うこともありますが、目的の達成のためであれば良いのです。

苦痛を味わうときは、だいたい快楽を得るときの何倍もの学びを得るものです。むしろ、この積み重ねこそが快楽の大きさを決めるのかもしれません。(なんかSMちっく?)
そういう視点から、苦痛は避けて通るべきではありませんが、このことを過剰に通念化しているのが広告業界です。「アイデアを捻るために」残業や徹夜するのはクリエイターの義務ですが、これは外部から要求されることではありません。正直、残業という概念が無いような業界ですが、それはクリエイター自身のためにそういう時間が確保されるべきであって、外部が要求してはならないと考えます。

ここが、「倫理の壁」。
残業、徹夜が当たり前なのではなく、その時間は純粋にクリエイションのためにあるべきで、外部からの時間的要求とは切り離されているべきです。

そもそもが外部からの依頼で発生する仕事のため、非常に分離しづらいところでもあり、
僕の表現もわかりづらいと思うのですが、こういうことは社内でも話し合っていきたいと思います。

安心して子供を産める職場環境・・・ってこういうことかと。

writer meijin writer 2010年05月12日 14:53

現在、我が社には私を含め3名の子持ちがいます。1名は2人目が生まれ産休中。

私のめざすところである、「働きやすい環境」には当然育児環境も入っているのですが、我々のような小規模組織には、整備が難しいというの現実です。

特に育休。時短労働に対する補助金等の制度はありますが、これを活用するのはかなりハードルが高いというのが実情です。おおよその仕事が、ある特定のスキルや個性に委ねられていて簡単に分割できないことと、クライアントの都合に対して折り合いをつけなければならないため、ある時間が来たら終了、というようには業務を整理できないことが主因です。

夫婦共働きの場合、保育園の時間も考慮すると、さらに家庭内でも折り合いをつけてもらわなければなりません。時短労働以前に、どうしたって業務に割ける時間に制約がかかります。
当然生産力、生産性は下降するわけですが、それを自助努力だけで補う組織とするには、一定以上のキャパシティ(生産人数)を持たせるか、各自が独立採算可能な小規模組織(構造的な組織としての意義は下がる)にするかいずれかでしょう。

広告制作は小規模組織の多い業界ですから、上記のようなことから「育てづらい」つまりは「産みづらい」(それで「結婚しづらい」)という状況が起きてしまいます。まぁ、結婚の意思そのものはこうした問題に関係しないかもしれませんが、子供を育てづらいというのは現実問題でしょう。

この問題を考えていたとき、実はこれがリスクマネジメントと同義であることに気づきました。
そのために今取り組んでいることは、バックアップ要員を生み出せる組織作りです。
「この人でなければ出来ない」領域を極力減らし、チーム制で仕事を動かすこと、情報を共有すること、役割分担を明確にすることを柱に業務のフレームワークを構築してみました。
まだ目に見える成果という段階ではありませんが、業務効率の向上には繋がっているようです。
一方、リスクマネジメントとしてはもう一息です。
産休メンバーの実質フォローはある程度効果が出ていますが、育児メンバーの負荷軽減は
なかなか難しいというのが実情です。
ここを解決するには、稼働時間中に最大限の成果を得ることが必要です。
業界全体で利益率が下がる中、労働環境の最適化を図る上でもっとも重要な課題かもしれません。
この課題をクリアできたら、相当良い組織になりそうですが・・・今期、様々なアイデアを試していきたいと思います。

もっとも、自分自身が古い慣習に戻りがちなのを修正するのが一番の課題ではあります。。。

事業の継続性:ガバナンスとイノベーション

writer meijin writer 2010年05月28日 16:19

当たり前の話ですが、私は立場上、事業をいかにして継続するかということを考えなければなりません。
継続には、組織としての力が問われます。組織の力というのは一時的に発揮できるパフォーマンスということもありますが、事業継続という部分に焦点をあてた場合には、行動規範(ガバナンス)が重要になると思います。
一般に会社のガバナンスというと、透明性 情報開示 説明責任といったことが挙げらるようですが、私たちのような若い組織では、組織や事業の目的に向かう具体的な行動規範を育てることが重要です。

この際に必要なのは、全体利益を考えた目標設定と行動、次に振り返りと改善行動というマネジメントのサイクル、いわゆるPDCAサイクルを形成することです。

事業を展開していると、一時の利益、流行に乗って大きな利益を取ることにばかり目が行ってしまいがちですが、コンスタントに最低限必要な利益を生み続けるベーシックが備わっていなければ、組織の寿命は短いものになります。また、そのベーシックが常にイノベーションを探求するものであれば、寿命をより延ばすことができるのではないでしょうか。

つまり、このベーシックとイノベーションを同時に獲得するのが、PDCAサイクルを形成することの目的であって、スパイラルアップしていくこのマネジメントサイクルの中心軸は、事業の目的となります。ですから、軸がなければスパイラルは形成できませんし、軸がぶれてもスパイラルはどこかへ飛んでいってしまいます。

この立体的なPDCAスパイラルを組織に浸透していくことが、高いモチベーションを組織にもたらすことにもなり、長期にわたる事業継続を可能にすると考えています。

少し話がそれますが、イノベーションというのは、単に革新的であれば良いというものではありません。派手で話題になるような必要もありません。
逆に、非常に地味に、僅かな進歩の積み重ねであっても、それがイノベーションである、あるいはイノベーションに繋がることになる事もあると思います。大切なのは、全体利益という視点が含まれるかどうかです。
小さなイノベーションやその欠片の積み重ねが、いつしか大きなイノベーションとなり、社会に大きな変革をもたらすのだと考えます。

逆に、社会的道義性を欠いた技術革新は、イノベーションとは言えないと思います。
社会的道義を欠くということは、全体利益を損なうおそれがあるためです。
結局、そのようなイノベーションと呼べない革新的技術やサービスというのは、部分的に最適化された一時的・短絡的な欲求に過ぎない。したがってそのようなものをいくつ寄せ集めたとて部分最適の集合でしかなく、全体としての価値や意味を持たないということです。

これらの考えは、結果的に全ての仕事に反映されてきます。
でづから、例えば企業のウェブサイトにPDCAサイクルを取り入れようとした場合、結果的にそれは経営に直結した問題になります。逆に経営に直結しない限り、PDCAサイクルは生まれません。そう考えると、企業ウェブサイトの今後というものが見えてくる気がしませんか。

なんか、すこし前進。かな?

writer meijin writer 2010年06月03日 13:21

このところ極力毎日、愚痴のようなブログを綴ってきましたが、インプットとアウトプットを繰り返しているうちに、少しずつ考えがまとまってきた気がします。

今は、デザインによってもたらされるイノベーションについて考え、会社全体として方向付けをして行きたいと考えています。

このところ仕事に押されて乱れてしまった生活のペースを整えて、自分の時間、家族との時間も確保しながら大きな課題に向かって進んでいきたいと思います。

なんか、突然決意表明みたいでおかしいですねww

google aps、取り組みはじめました

writer meijin writer 2010年06月05日 00:25

昨年夏に導入したgoogle.apps、カレンダーとメールくらいしか使っていなかったのですが、業務効率改善のために研究してみようと思っています。

自分がiPhoneに切り替えてから、gMailやカレンダーとの連携が良く、やっぱり使えるツールだなーと実感しはじめたことです。
Documentの実力がいまひとつ分からないのですが、googleサイトでは良い感じにプロジェクト管理用のサイトテンプレートができてきました。

このテンプレートは、今日思い立って一気に作ったのですが、このところ制作内でのコミュニケーションミスでトラブルが目立ってきたことがきっかけでした。
特に、制作スタッフの稼働率が100%を超えると、コミュニケーションミスが頻繁に起きるようです。
口頭やメールでのコミュニケーションは意識的にやっているのですが、それでも自分の作業負荷が高いときは、どうしても意識がそれがちです。

そこで、メールと口頭ベースのコミュニケーションに加え、プロジェクト毎の進捗や申し送り事項を履歴として残せるサイトを作ってみました。

来週から試験的に運用をはじめようと思います。

自分のメール管理方法も、gMailのフィルタを使って案件毎に振り分けを行い、メールベースのtoDoリストを作るなど工夫をしてみました。
これ、元ネタは元ライブドアの堀江さん著「稼げる超ソーシャルフィルタリング」なのですが、一旦セッティングしてしまうと大変効率的です。
ご存じない方はオススメなので、是非読んでみてください。

今後も、google appsの情報は色々と載せていければとおもいます。

変わりゆく社会の中で考えること

writer meijin writer 2010年06月14日 13:01

自分の行動規範を変えるのは、なかなかパワーの要ることです。
変わらなきゃと思いつつ、ついつい慣習に流されてしまうのは、仕方のないことです。
変わることによって得られる「果実」の味がわからないうちは、なかなか難しいものです。

便利そうなもの、自分が楽になりそうな道具があるとします。こういったものは比較的受け入れられやすいのですが、実はそれによって変わらなければならないのが「自分の習慣」であることが多い。自分の行動や習慣を変えることで「便利だ」「楽になった」と実感を得ることができるのですが、結局はそこまで至らずに諦めてしまう。
これまでの生活でも不自由がないから、それでいいやと元に戻ってしまうのです。

ビジネスにおいてもそういう傾向があります。
特に我々のような「現場」の仕事あるいは「現場のマネジメント」が仕事の中心にある場合、今まで「そこそこうまくいっていた方法」を「よりうまくいきそうな方法」に切り替えるのは難しい。「確実によくなった」という実感が得られるまでは、元の習慣に戻ってしまう可能性が非常に高いのです。

かくして、現場と現場のマネジメントは、大抵の場合はあまり進歩することなく、ある時代を過ごします。そして、時代の流れの中である節目に来たとき、変化に対応することが出来ずに滅んでしまいます。

そうした変化は突然にやってくるのではなく、大きな時間の流れの中で確実に進んでいます。
ゆっくり変化するものは、なかなか実感として捉えにくいものですから、これを予測して将来を決めるというは相当の千里眼が必要です。そういう眼をもったひとはなかなか居ないでしょう。

どうしたら時代の変化に取り残されないか、という問いに対しては、私は「小さな変化を繰り返すことだ」と考えています。
少なくとも、私たちのビジネスは外部との関係性の中でしか成立しません。外の環境は絶えず変化をしますから、我々も当然変化を要求されるはずです。その中で「よりうまくいく方法」を考え、実践することで、小さな変化は生まれると思います。変わりゆくこと、つまり「創造的破壊」を自らの中に体現していくことが、先行きの見えない時代を生きていくためには大切なんじゃないかと思います。
現場のマネジメントの上位には、こうした「人を変える」マネジメントという考えが必要です。それが我々のビジネスの価値を創造するのだと感じています。

技能のアイデンティティ喪失と労働のコモディティ化

writer meijin writer 2010年06月25日 13:14

広島で起きたファクトリーワーカーの解雇逆恨み殺人事件が世間を騒がせています。
現在企業業績は回復基調にあるものの、雇用に関しては引き続き調整局面にあるようです。
広告費もまた調整局面にあるので、広告関連の企業業績は軒並み低下しており、間接的に雇用面でも影響を受けています。
広島の事件は、そういう意味では全く他人事でない気がします。

工場で雇用の調整が起こるのは、需要そのものが低下しているためですが、一方で機械化による労働(あるいは生産)の質が変化したこととも無縁ではなさそうです。
本来工場の機械化というのは、将来の労働人口の減少(すなわち若年人口の急速な低下)に対する先行投資であって、かつ単純作業的な質の悪い労働を肩代わりし、労働の質の高いところへ労働者をシフトすることに寄与しているはずです。

しかし実際には、分業化された熟練を必要としない労働は依然として残りますし、この労働に関わる雇用は流動化しますよ。一方で熟練(専門的な知識や能力)を必要とする労働に関する雇用は、あまり流動化しません。この場合の雇用の流動化部分は「疎外化」でしかなく、流動的な労働者に熟練の機会を与えません。

実は広島の事件はあまり詳細を知らないのですが、疎外化された労働で達成感も与えられず、挙げ句に不要品として廃棄されるとしたら、無差別殺傷に走る動機としては十分な気がします。
さて、事件を起こすかどうかは別として、こうして流動化した労働者には敬意が払われず、十把一絡げの商品のごとく扱われます。
結果的に労働単価の低下を引き起こし、もともと労働単価の低い途上国へ生産拠点が移され、国内での雇用が減ります。これは工業の近代化がたどってきた道です。

まったく同じ道が、今はホワイトカラー(知識労働者)にもあてはめられつつあります。
いわゆる労働のコモディティ化ですね。

私たちの業界も同様、とくにコンピュータ処理が一般化したDTP以降のグラフィック業界、WEB制作、映像制作業界のうち、マスメディア関連(広い意味で)業務と遠い部分で顕著に起こっているようです。
特にWeb制作業界の場合、メーカーの工場の様に大きな設備投資が必要ないため、参入障壁が非常に低い。おまけに検索エンジンやログ解析の進化によるIAやUIの規格化、熟考よりスピードというファスト化も進んでいるため、コモディティ化の要素満載です。現実に、ウェブ制作者の一部はワーキングプアに陥っていると聞きます。
例えばさぶみっとJAPANのようなビジネスマッチングサイトでも、低価格でタイトなスケジュールの案件がほとんどです。作るという技能だけでは差別化要因にならず、敬意も払われないということがよくわかります。

これは、近現代の工業化によって(工業的)職人がアイデンティティを失った状況とよく似ていると感じます。
労働者の「良いものを作る、良い仕事をする」という意識が、分業の進行によって抽象化するとともに、労働の対価も低下し、労働者のもとから高い意識を奪い取るのです。
同時に、技能の熟練やノウハウの蓄積という機会も奪われていきます。このことが、高い技能を有する者と下流工程で単純作業に従事する者の格差を広げ、中間に位置する人材の空洞化を起こし、その分野での長期的な成長が不可能となります。
結果、業界自体が衰退(あるいは技術的拠点が他国へ移動)し、当該分野の技能はアイデンティティを失うことになると考えられます。

今、管首相の言う「最小不幸社会」というのは社会保障中心の議論ですが、不幸の本質がこうした労働構造にあるとすれば、それは社会保障では補えません。彼らの言う雇用の流動化という話も、実はこうした疎外化された労働者を生むだけのようにも思えます。

経営者としては、業務の効率化(競争力)は至上命題ではありますが、同時に働きがいを見いだせる環境作りも至上命題であります。私は、業務の効率化と働きやすさ、働きがいは相反しない要素だと思っています。また、そのことが本当の競争力を身につけることになるのだと考えているのです。

クリエイティブの効率化とは2:許すべき非効率と全体最適による高効率

writer meijin writer 2010年06月28日 21:54

相変わらず、核心の周囲をぐるぐると回っている感じではあるんだけど、結局何をもって効率的と言うかで変わってしまう部分でもあって、議論の対象を細部に区切ってしまえば、非効率的にならざるを得ない所も当然発生するわけです。私の「効率的であるべき」は、全体の最適化というイメージが多分にあるので、では部分を区切った時、非効率が許されるべき部分とは何なのか、先週末のブログで出した話題からの発展を試みることに。

時間あたりの生産性として効率化を考える場合、分業化と規格化がもっとも有効であると考えられます。作業単位を最小限にし、イレギュラーな作業を排除することで熟練までの期間が短く(熟練を不要とする)なり、生産効率が上がるというモデルですよね。ただし、このモデルが労働者の精神的衛生を著しく悪化させ、また疎外化された労働を生むことはこれまでの労働環境に関する研究からも明らかで、そのことは先日のブログで触れました。

私たちの仕事においても、部署毎にセグメントされ、自由裁量のない仕事は効率が良いように思われますが、結果的には逆のようです。
クライアントや上流工程のスタッフと、下流工程を受け持つデザイナーが協調して作業をできる環境というのは、モチベーションを高めアイデアを活性化し、健全な労働環境を保つという非常に重要な働きがあると考えられます。
時間的に一見無駄なようでも、協調のために時間を割くことを省いてはいけないし、分業の範囲についてもそれぞれが自身の裁量で動ける幅を、許される限り確保した方が良いということです。

これまでブログで触れてきた効率化という言葉の中には、上記のような前提があることを言わなければならないでしょう。単純に価格競争で優位に立つための生産性向上ということではないのです。

この先は、(多分)過去にブログで触れてきたとおりです。
勘や経験則だけに頼った方法を見直し、高効率なアイデア作成のメソッドを構築することです。このメソッドの中には、前述の「協調作業」が大きく含まれます。これは、全体効率の向上と最適化を目指すと言うことに他なりませんが、このことはクリエイティブにおける「生産」が「製造」的活動のみを指さず、イノベーティブな領域を含んだ活動であること再認識させるのではないでしょうか。

電通コンサルティング設立のはなし

writer meijin writer 2010年07月01日 21:41

つい先日のことですが、6/25日に電通が経営コンサルティング会社「電通コンサルティング」を設立する、と発表がありました。

http://www.dentsuconsulting.com/

広告領域だけでは、厳しい経営課題(つまりはマーケティング)を解決する事が難しくなってきたため、というのが設立の理由のようです。

ネガティブに見れば、電波の媒体費だけでは食えなくなったからマーケティング全体の予算を狙うという風にも考えられますが、媒体の代理店という特殊な日本型の広告代理店という姿からのメタモルフォーゼ(の前段)であるという見方の方が前向きで正しいかと思います。
ようやく、経営コンサルティングが日本の中で本格化するんだな、という気がします。

一方のクライアント企業の方は、インターネットの進化によりマス広告の効果が低下したことと、ソーシャルメディアの浸透と僅かながらの理解から、これまで各々一部署・一部門に過ぎなかった広告、販促、情報システム、マーケティング、カスタマーセンター、人事といったバラバラの単位を経営プロセス(マーケティングプロセス)のもとに統合されるべきであると気づいたのではないでしょうか。

だとすれば、電通のような広告代理店が、こうしたマーケティングプロセスのコンサルティングへ向かうのは自然なことで、これまでの関係性を考えればクライアント企業にとっても関係される事のようにも思います。

こうした動きはとても興味深く、関心を寄せているところです。

参院選で思うこと

writer meijin writer 2010年07月13日 22:18

ほんと痛いんですよねぇ・・・なんか自分を見ているようで。

民意とかけ離れた為政者の視点、的はずれに見える政策論争の原因は、国民の声をが聞こえないからですね。聞かないんじゃなくて、聞こえないという。チャネルがないという。チャネルを用意していないという。そういうことかな、と。

もちろん、民意を全て反映することは不可能ですし、為政者の論理で為さねばならないこともあります。国民は為政者の論理を正しく理解していないから、当然すれ違うのですが、それが当たり前だと思ってはいけないのですね。

同じく、経営者の論理は正しくても、従業員が正しく理解することはまずない。意図がすれ違う。何故か。

それは、話を聞く・説明をするというチャネルを用意していないからです。ほんの10数人の会社なんだから、聞きに来れば良いじゃないか、と思うのが間違い。こちらが用意する必要があるのです。

そんなチャネルがあっても、経営者の論理を通し決定しなければならないときだってあります。それは、そういう判断をする責任が経営者にはあるから。でも、どうせ分からないことだからといって、独断で動くのとは違いますね。経営者の判断を説明する責任が同時にあるからです。

限られた時間の中で、誠実にこれを為すのは大変な労力です。政治家の苦労もなんだか分かるのですが、同情している場合ではない。鳩山さんの普天間問題にはじまり菅さんの消費背に問題、参院選大敗に至るまで、その根っこにある問題は僕の問題と同じものです。

日々、学ばせていただいてます。精進精進。

デザイナーと経営

writer meijin writer 2010年07月22日 00:25

自分自身、会社を立ち上げるまでは分からなかったから、これをデザイナーに伝えるのは難しいことは理解してます。

でも、デザインって実は経営に直結していて、それは仕事においてはクライアントの経営課題だったりするのだけど、そういうテーマというのは、認識・視点が備わって初めて見えること。
だから、直球で伝えようとしても伝わらないんだよね。

これを上手く共有することができれば、会社はもちろん、デザイナー当人にも利益のあることで、それはクライアントにも利益をもたらすのだと思う。
今日、一部の経営スタッフと色々話をしていて、自分がこのことを伝えるための視野の持ち方についてヒントをもらったし、厳しい意見も出してもらって、自分の考えを一層前進させることが出来た。
まぁ、それぞれに色々思惑はあるのだと思うけども、会社のことを真剣に考えてくれるスタッフがいて、僕を動かそうと努力をしてくれることに本当に感謝している。
僕自身も努力を惜しまないつもりだし、この恵まれた環境をより良く活かしていこうと、決意を新たにした午前0時でした。
遅くまで議論してくれてありがとうね。

ナレッジベースという考え方

writer meijin writer 2010年07月23日 00:07

感覚的には分かっているようなんだけど、方法としてカタチに残していくという行為に何故か気が行かないみたい。自分自身もデザイナーなので、それは分かるし、意志や意識で変えられる部分を変えていくことの方が先行していくべきではあるのだけど、それをカタチある方法として残していくことがどれだけ会社にとって意味のあるものであるかが分からないんだろうな。

データの蓄積っていうのは、ホントにこれから重要になっていくことなんだけど、これを理解するのは、その分野への認識力が必要ということなんだろう。
ただ、これ結局はデザイナーがスキルを伸ばしていく課程と同じ事だから、そういった身近さを感じさせてあげることと、その個々人のもつスキルアップの方法論がどのように自分の中にデータベース化されているかということを見えるようにしてあげれば良いのかな。

いずれにしても、僕の中にある問題意識と、現場での意識レベルがかけ離れていることは確かで、これは埋めて行かなきゃならない。
ナレッジベースとしての会社、そのツールとしてのネットという位置づけで、まずは自社内でパッケージにして行くのが第一歩だね。
この忙しさが一段落したら、すぐ着手しよう。

心を亡くすと書いて・・・

writer meijin writer 2010年07月24日 00:00

心を亡くすと書いて「忙しい」ということ。
本当に、そうだと思います。だから最近、極力「忙しい」という言葉を使わないようにしているのですが。
独立してから、かれこれ10年になりますが、思えば「忙しい」を理由に色々なことを犠牲にしてきた気がします。
いや、自分だけじゃなく、社会自体がそうなんだとも思います。
「何のために」人は生きるか、という目的が仕事の目的に支配されてしまい、人間らしく生きるための心を亡くしているんじゃないでしょうか。心を亡くしたら、人は人でなくなってしまいます。

未だに、月月火水木金金を是とするような風潮がある(先日本屋でふと立ち読みした本の冒頭にそのような下りがあったので)ことは、日本の企業社会という風土がいかに根強く、社会自体が企業への帰属意識を強く求めるものであることを証明する一方で、非正規労働者に対する企業の冷遇が顕在化し、コストカットと称して大規模な解雇(労働の商品化の顕れ)を平然と行うような企業経営のありようには、非常に危機感を覚えるのです。

日本経済の復活を考えるとき、こうした「能力主義」を笠に着た企業の、「人格への無関心」を排除することなしには考えられないのではないでしょうか。
人を人として尊重するとを忘れるならば、企業の価値は社会に認められるものとはならないでしょう。人が心を忘れてしまうような企業・経済主導の社会を是とするような風潮を今一度見つめ直し、人間にとっての幸福のあり方を、企業の中から考え出していかなければ、日本は本当に強い国にはならないのです。企業は「まずは経済」ではなく、「幸福とは何か」を考えなければならないのではないでしょうか。


今、社会は静かに動き出しています。
そのことを敏感に感じ取り、来るべき未来に向けた準備を、今こそ始めるべきなのだと思っています。

人は自分の経験の範囲でしか想像できない

writer meijin writer 2010年07月26日 23:12

色々見聞を拡げても、想像の範囲は広がるけれど、結局は自分の経験に基づいて判断しているのですね。
だから、人の意見を聞くことは大切です。自分には無い視点をあたえてくれるからです。
同様に、読書も人の意見を聞く行為ですね。読書の場合は、時や国境を越えることができます。

人は、自分が知らないこと、分からないことは低く見積もります。だから、沢山のことを知らなければ、その事が重要であるかどうかわかりません。
そして、相手の視点に立って考えると言うことは、本質的には不可能です。経験や知識、想像の範囲が違うからです。

だから、人に意見を言うとき、人を指導するときは気をつけなければいけません。
ましてや、むやみに人の傷に触れることは慎まなければなりません。

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人の強みよりも弱みに目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう。
P.F.ドラッカー

社内で勉強会をしてみた

writer meijin writer 2010年07月29日 13:17

最近話題の「朝活」風なことを、会社でも取り入れてみました。
ウチの会社は定時が遅い(11時〜)なので、朝活と言っても10時スタートです。普通の会社の定時よりも、さらに遅い時間と思われます。。。普通は8時くらいだよね、朝活って。

まぁ、出来るところからはじめてみようと言うことで。
今週から社内メールマガジンもスタート、会社サイトの制作運用委員会(?)もスタート、そしてマーケティングの勉強会もスタート、と一気に新しい試みをはじめています。
これらを通じて、デザイナーが「マーケティングとは何か」ということを身近に感じ、マーケティングセンスを身につけ、デザインに反映していくことが目的です。

今日は、製品やサービスの価格低下要因について考え、私たちのクライアント企業の置かれた立場を認識すると共に、私たちの仕事の価値や、価値を高める方法について認識を深めました。
正直、思ったよりも皆鋭い感覚で問題を捉えていて、さすがデザイナーたちだなぁと、感心しました。ホントに、自分はスタッフに恵まれていると思います。

いずれは、他社と合同の朝活にしても面白いな〜なんて妄想が膨らんでいます。
でも、そうなると10時スタートってのは無いですよね・・・

見積もりセミナー

writer meijin writer 2010年08月06日 20:43

会社サイトにも報告を上げましたが、宣伝会議の「新・Web制作見積もり基準セミナー」というのに参加してきました。
WEB業界の見積もりって、会社の出自によって相当違いがあります。ウチのようなグラフィック系から、印刷系、システム系、CM系、コンサル系、個人がいきなり企業しちゃう系などなど・・・それぞれの商習慣や、売りたいものの性質によって計上の仕方が違うというのが、もはや常識化してしまっているのですが・・・自分たちにとっても顧客にとっても、何を基準に判断すべきかが見えなくなってしまって、不都合を生んでいるというのは事実です。ですから、こういうセミナーに人が集まるんですよね。

だから、こういう基準にしましょうよ・・・という話が中心では無いんですね、このセミナー。
一応、他の業界ではこんな統一フォーマットがありますよ、というCM業界の事例があって、それはとても参考になったのですが。
むしろ、価値のある仕事とは何か、何を価値化するのか、どう売るのか、というビジネスの基本中の基本的な話が中心でした。

最近そういった事に関する認識は、このブログで展開してきたとおりなので、「そうですよね〜」と同意できる内容も多かったのですが、分かっていても行動できていない部分や未熟な部分というのも再認識させられましたね。

結果的に、それが見積もりに落ちていくだけの話であって、見積もりありきでビジネスを考えるのは間違い!というのがセミナーの主旨だったと思います。
自分たちのコアコンピタンスをしっかりと認識して、お客様にとって役立つ、良いサービスを創り出して自信と情熱を持って売っていくことこそ、見積もりの極意なのだということですね。

これは腑に落ちました。
そう考えると、確かに見積もりって楽しいかもしれません。

日々失敗、日々前進

writer meijin writer 2010年08月26日 21:41

新しいことを試すのは、相応に失敗がつきものです。というよりは、失敗がなければ成功はない。新たな試みがいきなり成功するのは、相応の下地があるか「まぐれ」かのいずれかでしょう。

まぐれ当たりは読めません。だからアテにはできません。
相応の下地をつくるには、それこそ失敗の積み重ねがあるということです。

誰だって失敗は怖いのですが、本当に恐れなければならないのは大きな失敗です。
修復不可能な失敗をする可能性のあるものに賭けてはいけない。
反対に、小さな失敗を恐れるのは、プライドや羞恥心が邪魔をしているだけです。
小さな一歩で失敗すれば良いじゃないですか。大きな一歩をいきなり踏み出そうとするからいけないのです。小さな一歩であれば、失敗も小さい。大きな一歩で誤れば、失敗も大きい。
そこに到達するのは、小さな一歩でも遅くても失敗しても、歩数を重ねれば良いのです。そこに到達するころには、徐々に歩は大きく、早く、失敗も少なくなっているはずです。

新しいことを試すというのは、その先に自分の望む姿があるからです。
失敗をしなければ、望むような自分にはなれません。
皆、そういう道を通ってきたのに、ある時点で忘れてしまうことが多いようです。
ただただ、失敗を恐れるひとになってしまうと、その時点で成長は止まります。

人生の可能性を拡げるには、小さな失敗を恐れないことです。

なーんて、偉そうに言ってみる。笑

時間投資を甘く見るな

writer meijin writer 2010年09月07日 00:15

人生も半ばを過ぎる年になると、残りの時間を計算するようになるみたい。
相変わらず早起きは苦手だけども、以前よりは早く起きるし、基本的には無目的な時間を過ごすことが少なくなったと思うのです。

経営においても、その辺のところが分かってきました。
結果を求める時間の使い方はもちろん、時間の使い方の善し悪しが評価に結びつくと感じています。なぜなら、時間効率を上げ、密度高く仕事をする人は、自ずと成果を出すことができるからです。これ、成果という目的からの逆算でもあるのですが。

組織のありようも、この10年くらいで随分様変わりしたと思います。
僕は15年前くらいの社会人デビューになりますが、当時勤めた会社をはじめ、よほどの企業でなければ会社内に十分な教育制度は無かったと思います。
習うより慣れろ、仕事は見て盗めというのが常識でした。

でも、今は違います。
それは、日本の産業構造が変わったことを意味しているようですが、ともあれ、僕らの仕事は製造に重きを置いたものから知識やノウハウといったナレッジに重点が移り、またビジネスのスピードがどんどん速くなることで、会社組織には社員の教育という考え方が必要になりました。
以前のように「見て盗む」ような時間を待っていてはスピード負けしてしまいますし、社員もより教育の充実した=自分を高めてくれる会社を求めるようになったからです。

ですから、会社には社員を教育する時間が必要ですし、社員もまた自分の時間を有効に使う意識が重要になってきます。
生産が量から質へと変化していく中で、良質なアウトプットを生み出すためにはインプットの量や質が重要だからです。
インプットのための時間を確保すること、つまり時間への投資という意識を、会社も社員も共有しなければならないということです。

それ以前に、投資という考え方が日本人には理解がえがたいものでもあるようですけど。

仕事を楽しいものにするために

writer meijin writer 2010年09月08日 12:56

僕らの仕事は、辛いことももちろんありますが、基本的には楽しいものです。
つくるのが好きな人が、つくる仕事をしているのだから、楽しくないはずがない。
でも、本当に仕事を楽しんでいるひとは少ないかもしれません。

例えば、仕事を楽しむのには「自由さ」が大切かも知れません。
仕事上の自由とは、ひとつは与えられた裁量の大きさによると思います。
裁量を与えられる=責任を持つということで、モチベーション向上にも繋がるでしょう。
仕事では、責任を与えられる(その役割を果たす)ことで、自由になれるということが言えると思います。

これはある意味当たり前のことですよね。だけども、組織としてこういうことをキチンと考えていくのは大切です。今までキチンとやっていなかったから(苦笑)、身にしみて分かります。

で、最近もう一つ当たり前のことに気づきました。

自分たちの専門領域について、もっとちゃんと考えなきゃダメでしょう。ってこと。
世の中、何となく動いている部分が多いものだから、何となく専門領域について知っているだけでも、何となくやっていけてしまいます。少なくとも今は。

今後、企業の生き残り競争はより熾烈になり、より変化の早い時代になるでしょう。
戦略のない会社は、淘汰されてしまうと思います。
その戦略を考える際、自分たちの領域をちゃんと知っているってのは重要です。
何となく知っているレベルでは、戦略なんか立てようがないのです。

ちゃんとやらなきゃダメです。ちゃんと考えなきゃ。

で、そんなこと思いながら、仕事も勉強が必要だぁって気合い入れて日々の仕事に向かうと、何かとてつもなく楽しくなりますよ、仕事が。

ウェブサイトと企業戦略

writer meijin writer 2010年09月09日 21:19

「ホームページ要りませんか?」で営業が成り立つ時代はとっくに終わっていますが、いざ企業に売り込み(営業)をかけようとするとき、意外に大きなものを売らなければならないことに気づきます。

サイト上で直接販売を行う、いわゆるECサイトのような、投資対効果が数値化しやすいものもありますが、サイトの目的が数値化されにく、例えばブランディングのようなケースもあります。マーケティングツールとして使うと言うことも考えられます。
ECサイト以外のケース(実はECサイトも例外ではないのですが)では、サイト構築は納入先企業の運用体制が不明確では失敗することは確実です。極端に言えば、企業トップを含めた社員全員のコミットメントを得られなければ、成功はあり得ないんじゃないかと思います。

それは、ウェブサイトで効果を上げるためには、組織の変革を確実に必要とするからです。
明確な目的をもったウェブを構築し成功させるためには、導入先企業の体制を整える(変える)ことを抜きにしては考えられないのです。

今、自社のサイトをつくっていて、それは骨身にしみて分かるのです。
トップだけが、やれマーケティングだブランディングだと騒いでも、スタッフにはそれぞれの仕事があり、またそれが自分の仕事だと思っている(分かりづらいですが・・・)ので、マーケやブランディングは別世界の話、誰かがやってくれる、つくってくれるものだと思っているのです。
そんな環境で、マーケティングツールやブランディングツールとしてウェブをただ立ち上げたところで、効果なんて出るはずがありません。みな当事者意識がないのですから。
まして、トップが無関心で、道具さえ変えれば効果があるだろうと思っているケースなどは論外です。トップの意識が変わらない限り、スタッフの意識が変わることもないでしょう。
ウェブに限らず、IT関連サービスでは、こういう失敗例は数限りなくあると思いますが。

ブランディングでもマーケティングでも良いのですが、目的を明確にしたウェブ構築の「ハート」は、実はこの点にあります。
トップの意識が変わり、社員の意識が変わるチャンスをもたらすからです。

意識を変え、行動を変えるのは並大抵のパワーではかないません。かなり地道な努力と時間を必要とします。

そう考えると、もはやウェブ構築はウェブサイトのデータやシステムを売るだけの仕事ではなく、顧客とのパートナーシップ・二人三脚の体制で、顧客の企業戦略そのものを変えていくような仕事になっているのです。

これは制作会社にとっては身に余る大仕事のようにも思いますが、僕はこの領域こそ、デザインという能力を最大限発揮できる場面だと考えています。
デザインには、問題解決の力があります。新たな価値を生みだしていく力があります。
この力で、日本のビジネスをもっと面白く、魅力的にしていけたら素敵です。

ウェブとデザインとの関わりは、今確実にカタチを変えつつあるように思います。

あー、今日も散文だな(’’^^;

7つの習慣

writer meijin writer 2010年09月14日 21:10

ダイヤモンドで特集が組まれていて、気になったので買ってしまいました。。

初めて内容を知ったのですが、これまで読んできたライフハック系の本とか人との関わり方(営業だったり交渉だったり)の本とかの元ネタ?と思うくらい、同じようなことを言ってはいますが、一つのまとまった体系としては確かによく考えられてるなぁ・・と感心します。
雑誌の特集記事なので相当端折ってるわけですが、それでもエッセンスは十分伝わりますね。

7つの習慣で言うところの、1〜3の所で自分は格闘している最中だということがわかり(^^;)、そんな未自立未満な自分が第4以降の習慣について語るのもどうかと思いますが、第4の習慣「Win-Winを考える」から第5の習慣「理解してから理解される」、そして第6の習慣「相乗効果を発揮する」へ至る道のりが・・・アタマではわかったつもりになっていても、実行がなかなか難しい所だと思います。

第3の習慣までが自分を相手にしているのに対し、4〜6の習慣は相手がいるからです。
相手によっては感情の制御が難しい場合もあるので、これを克服するのは少し時間と経験が必要になりますね。このとき、自己が自立していなければ、結局は自己を改善するところに帰ってくるってことですね。

7つめの習慣「歯を研ぐ」ってのが、7つの習慣の素敵なところですね。

記事によると、なんでも「7つの習慣セミナー」なるものもあるそうで、名だたる大企業や経産省が導入しているとか。
まぁお高くて、ウチの会社で出来るようなものではないでしょうが。。気になります。

つくるひと・つくらないひと

writer meijin writer 2010年09月22日 00:17

ビジネスをつくる人、つくらない人の差は、最終的には大きなものになると思うけど、最初の一歩はそんなに変わらない。

やるか、やらないか。

たったそれだけのこと。
でも、やらない人が多いから、やる人にチャンスがある。
リスクはもちろんあるけど、最初の一歩に関しては、やらない人が思うほど大きなリスクではないんだよね。むしろ、ハナからそんなに大きなリスクを背負ってはいけないし。

なんかみんな、考えすぎ。
いきなり大きなことをやろうなんて、今の僕だって思わないのに。新しく何かをはじめることに、大げさになりすぎなんだよ。だから最初の一歩が踏み出せない。

残念だねぇ。。

スマートグリッドジャパンで興奮!

writer meijin writer 2010年10月27日 20:01

スマートグリッドというのをご存じでしょうか。
日本では、電力各社はじめ最近ようやく本格化してきた動きですが、オバマ大統領の「グリーン・リカバリー」政策、いわゆるグリーンニューディールが知られるようになって、一般にも浸透してきた言葉だと思います。

グリッドというのは送電網を指します。簡単に言えば、発電所から送電線を伝って家庭に電力が送られるまでの「ネットワーク」です。スマートグリッドというのは、直訳すれば「賢い送電網」で、特にこれと決まった方式はまだ無い(と思う)のですが、極々簡潔に言うならば、その要旨は以下のようなものです。

・電力消費の情報化により、最適な電力を供給する電力網の整備
・太陽光発電など再生可能エネルギーや、EVなど関連技術の接続、連携

この結果として、無駄な電力が削減され、発電所への負荷が軽減されます。
つまり燃料費が大幅に削減され、相当の経済効果が見込めるというものです。
加えて、この技術やサービスに関連した事業の発展も考えられます。

これを、インターネットに続く社会的なイノベーションであると、多くの人が考えるようになりました。私も、そう考える一人です。

スマートグリッド自体まだ実験段階なので、どのような関連事業が生まれてくるかも未知数というようなものですが、環境問題、資源問題、経済問題など、現代社会が抱える深刻な問題を、いずれも良い方向に導きそうな感じがします。今や、アメリカをはじめ各国がこのことに気づき、政策として積極的に考えるようになりました。

つまり、これが「グリーン・ニューディール」というわけですね。


もちろん、インターネットがもたらしたような産業構造の変化が再び起こり、業態の変更や廃業を迫られるような業種もあるでしょう。
果たして、スマートグリッドにはどのような可能性があり、どのような変化が予測されるのか・・・個人的に、そして一企業の経営者として非常に興味があるのです。

そんなことを意識しはじめた矢先、日本のスマートグリッド関連ビジネスの先端を行く企業のプレゼンテーションを聞くことができる、「スマートグリッドジャパン」というイベントの案内が届きました。
今日から竹橋(九段下?)の科学技術館で開催なので、早速行ってまいりました。

朝からはさすがに時間が取れず、午後2コマのセッションを聞いてきました。
予備知識の範囲内の話もありましたが、今日面白かったのはデータセンターの話です。
Google、IBM、Yahoo!などアメリカのプレーヤーの取り組み、考え方は、特に参考になるものでした。また、さくらインターネットが石狩に建設中のデータセンターの話では、若い社長さんの素晴らしいプレゼンもさることながら、その大胆な発想にとても感銘を受けました。

これらは、スマートグリッド「らしい」話からは少し外れているのですが、考え方としてはスマートグリッドそのものという感じで、ビジネスの展開を考える上では非常に大きなヒントになると思いました。
スマートグリッドの発想自体がIT的であり、IT的発想を応用して考えられたということかもしれませんが、世界のビジネスプレーヤーの大胆な発想力、行動力には本当に目を見張るものがあるのです。
今日学んだことは、専門的な知識を活かすためには「常識を疑う」こと。「発想を転換」すること。そして「リスクを取って行動する」こと。これらが、ビジネスチャンスを大きく活かすポイントということですね。

明日、明後日とイベントは続きます。当日受付もあるようなので、興味のある方は是非。

無目的に走り続ける人々-設立記念日に思う-

writer meijin writer 2010年11月26日 19:35

最近、「目的」を考えずに「方法」だけで動いているヒトやコトが多いんじゃないか?ということが気になっています。

企画一つ取っても、大雑把に言えば「ウェブでのコミュニケーション」とか「ソーシャルメディアへの参加」とか色々とお話しをいただくのですが、その目的が判然としないものが多いのです。他でこんなコトやっているから真似したいというだけでしかない。
会議一つ取っても、目的を確認しないまま表現方法の話ばかりという、行き先を見据えないままにその場の話だけが進行しているという状況が往々にしてあります。
これでは、良いものが生まれる訳がないです。もし生まれたとしたら、偶然の産物でしかないですね。

もちろん、しっかり目的を見据えて動かれているクライアント様もたくさんいらっしゃいます。そういうクライアント様の企画や会議は、非常に有意義で楽しいですね。大変勉強にもなります。


何のために仕事をしているのか、会社として何を目指すのか。
そういう目的を感じて仕事をしているヒトや組織は、強いですね。接するだけで仕事への高いモチベーションと充実が感じられるものです。


目的がなければ、目の前にある仕事をこなすだけの毎日です。これは状況に流されるしかない生き方です。自分が何をすべきかは、与えられるものによって決まるので、現状に不満があれば別のものを与えてくれる環境へ移動するだけです。ちょっと考えればわかりますが、これは結果的に何も変わらない。

目的を持って動けば、何が重要なのか、何をすべきなのかを考えることができます。
現状の不満は問題意識として顕在化し、結果を変えるための行動に結びつけることができます。

僕の会社は正直に言うと、組織的にはまだまだ目的意識が朦朧としているようです。
今日11月26日は会社の設立記念日、今月から7期目に突入しました。今期は目的をしっかりと見据えて、未来に向かってしっかり歩を進める組織作りをしていこうと決意したところです。

読書ブーム継続中

writer meijin writer 2010年11月30日 22:08

自分史上、未曾有の読書ブームは続いています。

少なくとも、大学時代の4年間分よりも多くの本を読んでいると思われます。
学生時分は建築系の本とかデザイン史とかの本が好きでしたね。今でも一部が事務所の書棚にあります。若い頃は読書が下手で、1冊読むのに異常に時間が掛かったし集中力が持たなかったから、あまり多読はできなかったんですよね。今は随分ラクに読めるようになったと思います。基礎的な知識が増えたせいでしょうか。

会社の若い連中を指導していて、思うことがあります。
基礎的な知識量が足りないと、表面的な事象にとらわれがちになるということです。例えば一つのタスクをこなすにあたり、二人の異なる上司に別々の内容で指示を受けるなど、二つの異なる行動規範が競合するような場合、短絡的な結論を出したり思考停止に陥ってしまうことがあります。規範や規律(言われたこと)をベースに行動をしていると、自己に決定権が無いので、ダブルバインドの状態になった場合に自己の存在が消えてしまうのです。

行動規範や規律というのは、「何故そうなるのか」「何故それが必要なのか」を考えることから出発しているはずです。
出発点を見ずに結論としての行動だけを取っていると、違う解釈に出会った時に理解が出来ず、短絡や思考停止を引き起こします。
「何故」を考えていれば自己の裁量が増えるので、そのような事態を回避できるのですが、基礎的な知識を増やしていくことも、これの助けになります。

読書でも、同じ分野の本を何冊か読んでいると、後半は格段に読みやすくなってきます。最初は一語一語が初見で意味がわからなかったものが、徐々につながりをもって認識されるようになるからです。

なので、若手の指導で「何故わからないんだ!」とイラつくことも正直ありますが、最近は少しずつ周辺知識を増やしてあげられるように考えています。

さて、僕はというと・・・ここしばらくは、環境系の本を固めて読んでいました。環境とエネルギーの分野は、今後も注目ですね。でも、ストックしておいた分は読み終えたので、一旦終了。

今はまた、金融・経済の方に戻りました。
金融の入門書は以前にも読みましたが、もう一冊別の著者のを読んでいて、読了間近です。
次は、個人的に楽しみにしていた「ゲーム理論」の入門書です。行動経済学関連は3冊買ってあるので、それを読み終えたら経済政策の本・・・途中に息抜きに別の分野を入れるかもしれませんが、年内にここまでは行きたいですね。

経済学の勉強本格的にやる必要は僕には無いし、学生みたいに試験やレポート提出があるわけでもないので、今のところは気楽なお勉強です。でも、経営にも企画にもデザインにも応用が利くというのは、ちょっとしたヒミツですね。

あと折角お勉強したので、実は中小企業診断士の試験受けよっかなーとか、ちょっと思ってたりします。

言うは易く行うは難し

writer meijin writer 2010年12月13日 21:51

10月で決算が終わり、ちょっと気が抜けていました。体調不良だったこともあり、ようやく今期の具体的目標を立て始めたところです。

現在の事務所に移転してから3年ほどになりますが、なかなか思うようにならない組織運営を試行錯誤しながらやってきて、マネジメントに関してようやく見えてきた部分があります。

目的と目標を感覚論のまま放置しないこと。
目的達成のための期限と具体的目標、定量的な指標をもって客観的に評価していくこと。


要するに、プロセスマネジメントが必要と言うことですね。
言うは易し・・の言葉通り、方向性を示すだけなら簡単です。それが「正論」ならなおさらですが、大抵はお話しはそこで終わり。具体的目標を提示されるのを拒み、各自頑張ろうというような話に落ち着いてしまい、結局何も変わらない・・・そんな事が多いんじゃないかと思います。
具体的目標が与えられたとしても、数字の提示だけであれば意味は薄いですよね。
その数字をいかにしてクリアするか。現状の阻害要因、ハードル、ハードルを超えるためのアプローチ・・・そうしたものがセットになって、はじめて効果を発揮するのだと思います。

今期は、そのあたりのことを踏まえて、今後の成長につながる戦略を考えているところです。ようやく体調も回復傾向にあり、アタマも少しスッキリしてきました。
上期のスタートダッシュはできませんでしたが、年明けから追い込んでいけるように、しっかり準備したいと思います。

会社と教育

writer meijin writer 2011年01月05日 22:09

デザインの仕事は、知識商売。

僕がグラフィックの仕事を始めたのは15年くらい前、丁度DTPによるデザイン制作のフローが確立し始めた頃で、僕はいきなりDTPから始めた第一世代くらいだと思うのだけど、一般にはデザイナーの仕事はちょっと特殊な知識やスキルが必要だった。
手作業も多かったから、駆け出しのデザイナーに与えられる仕事はカラス口でひたすら線を引いたり、先輩デザイナーの使い走り程度の些末な仕事だったり・・・つまり仕事の「要素」を繰り返して身体で覚えることをさせられていたと思う。
アイデアをつくる能力の他に、職人的な技能を磨くことが重要だったからだろう。
そういうことをしながら、先輩の仕事に関わり、見て技を盗んでいたんだと思う。
これはデザイナーに限ったことではないと思うけど、先輩の仕事を見て技を盗めと教わった人が多いはず。

今や、そんな要素を繰り返したり、先輩の技を盗む必要なんてまるで無い。
磨くべき技能は、コンピュータがほとんどやってくれるからだ。
せいぜい、アプリケーションソフトの便利な使い方くらいしか、見て盗めるものなんて無い。
もはや、仕事は見て盗むものではなくなった。

にもかかわらず、相変わらず現場には教育という考え方が薄い。
「職場は学校じゃない」が皆の決まり文句だし。
この文句そのものは極めて正しいのだけど、解釈を間違えるととんでもない時代錯誤になる。
会社が学校(法人)であるという場合を除いたら、確かに学校じゃない。
でも、教育の現場であるという認識が必要。絶対に。

その理由、デザインの現場に限った話で言えば、こういうことになる。

かつて技能の習得は、文字通り身体で覚える体得だった。体得とは、ある動作を繰り返し行うことで動作を自動化していき、もっとも重要な部分に意識を集中させる。そして、沢山の経験の中からベストの答えを探し出す、という解決を行うことだと思う。

今、身体技術としてのデザイナーの技能は、ここまで研ぎ澄ましていく必要は無いんだから。
美しいグラデーションを描くために、エアーブラシを扱う指先に集中する必要は全くない。絵の具のとき具合やら、空気圧の調整やら、身体で覚えなきゃならない要素は皆無。
マウスさえ扱えれば、技能的に未熟でもアイデアは素晴らしい精度でかたちになる。

だからデザイナーの仕事は、その殆どが知識と智恵に依るものとなった。
もちろん、職業デザイナーなるものが誕生した頃から、知識と知恵はデザイナーに不可欠のものではあったけど、今はそのウェイトが大きくなったということ。アプリケーションソフトを扱うことやプログラミング、コーディングのように、技術ですら知的資産となったのだから。

体得であった頃は、身体が覚えるまで単一要素を繰り返すことが教育だった。その基礎技術の習得がデザイナーのスタートラインであって、あと(の付加価値部分)は自分たちで考えなさい、考えて動きなさいという教育だったと思う。技術習得していく間に、それ以外のことも吸収しなさいね、という。
DTP時代になって技術がバーチャルなものとなり、長期間をかけて体得する必要が薄れてしまうと、この教育のカタチは成り立たなくなった。Mac使うのなんか幼稚園児でも出来るし、それが多少上手く扱えたところで、それ自体は一銭の価値にもなりはしないのだから。

こうしてデザイナーのスタートラインは基礎技術の習得ではなくなって(そんなのは出来て当然)、いきなり知の技術、知の技法という世界になった。
専門領域の知を蓄え、使う。そういう技術。そこがスタートラインで、あとは自分の感性をどう織り込むか。

技術が基盤で感性があとっていうのは、以前と変わっていないと思うのだけど、その基盤になる技術が「知」になっちゃったってとこがポイントなんだろう。


これはデザイナー個人にとってはもちろん、会社にとっても同じこと。
会社の価値を決めるのは、知を蓄積し、その使い方を知っていることだと思う。

で、会社での教育というのは知的技術の習得になったハズなんだけど、デザイン業界の難しいところで、ビジュアルを扱っているが故にどうしてもビジュアライズの技術に重心がいってしまう。ビジュアルの中にある知的生産の部分が、逆に見えづらくなっているという皮肉。

これまで知の技能を教育するという文化もスキルも無いのだから無理もないけど。そこは個々人のヤル気と能力に委ねられてたとこだから。でも、これからは違う。
技能強者が技能弱者に伝授するような昔ながらの教育ではダメだろう、ということ。

これからは新しきは古きに、古きは新しきに学び、絶えず知識体系を更新していくような継続的な教育が必要で、そのような教育体系こそ会社組織を創っていくようになる・・・これ自体、そんなに特別なことでも無い気がするけど・・・どうだろうか。

でも、知識体系が会社の価値を高めるというところまでは確信している。
だから今、組織全体を対象にした教育が必要だし、会社は教育現場でなければならないのだと考えている。

2012年03月

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