技能のアイデンティティ喪失と労働のコモディティ化
広島で起きたファクトリーワーカーの解雇逆恨み殺人事件が世間を騒がせています。
現在企業業績は回復基調にあるものの、雇用に関しては引き続き調整局面にあるようです。
広告費もまた調整局面にあるので、広告関連の企業業績は軒並み低下しており、間接的に雇用面でも影響を受けています。
広島の事件は、そういう意味では全く他人事でない気がします。
工場で雇用の調整が起こるのは、需要そのものが低下しているためですが、一方で機械化による労働(あるいは生産)の質が変化したこととも無縁ではなさそうです。
本来工場の機械化というのは、将来の労働人口の減少(すなわち若年人口の急速な低下)に対する先行投資であって、かつ単純作業的な質の悪い労働を肩代わりし、労働の質の高いところへ労働者をシフトすることに寄与しているはずです。
しかし実際には、分業化された熟練を必要としない労働は依然として残りますし、この労働に関わる雇用は流動化しますよ。一方で熟練(専門的な知識や能力)を必要とする労働に関する雇用は、あまり流動化しません。この場合の雇用の流動化部分は「疎外化」でしかなく、流動的な労働者に熟練の機会を与えません。
実は広島の事件はあまり詳細を知らないのですが、疎外化された労働で達成感も与えられず、挙げ句に不要品として廃棄されるとしたら、無差別殺傷に走る動機としては十分な気がします。
さて、事件を起こすかどうかは別として、こうして流動化した労働者には敬意が払われず、十把一絡げの商品のごとく扱われます。
結果的に労働単価の低下を引き起こし、もともと労働単価の低い途上国へ生産拠点が移され、国内での雇用が減ります。これは工業の近代化がたどってきた道です。
まったく同じ道が、今はホワイトカラー(知識労働者)にもあてはめられつつあります。
いわゆる労働のコモディティ化ですね。
私たちの業界も同様、とくにコンピュータ処理が一般化したDTP以降のグラフィック業界、WEB制作、映像制作業界のうち、マスメディア関連(広い意味で)業務と遠い部分で顕著に起こっているようです。
特にWeb制作業界の場合、メーカーの工場の様に大きな設備投資が必要ないため、参入障壁が非常に低い。おまけに検索エンジンやログ解析の進化によるIAやUIの規格化、熟考よりスピードというファスト化も進んでいるため、コモディティ化の要素満載です。現実に、ウェブ制作者の一部はワーキングプアに陥っていると聞きます。
例えばさぶみっとJAPANのようなビジネスマッチングサイトでも、低価格でタイトなスケジュールの案件がほとんどです。作るという技能だけでは差別化要因にならず、敬意も払われないということがよくわかります。
これは、近現代の工業化によって(工業的)職人がアイデンティティを失った状況とよく似ていると感じます。
労働者の「良いものを作る、良い仕事をする」という意識が、分業の進行によって抽象化するとともに、労働の対価も低下し、労働者のもとから高い意識を奪い取るのです。
同時に、技能の熟練やノウハウの蓄積という機会も奪われていきます。このことが、高い技能を有する者と下流工程で単純作業に従事する者の格差を広げ、中間に位置する人材の空洞化を起こし、その分野での長期的な成長が不可能となります。
結果、業界自体が衰退(あるいは技術的拠点が他国へ移動)し、当該分野の技能はアイデンティティを失うことになると考えられます。
今、管首相の言う「最小不幸社会」というのは社会保障中心の議論ですが、不幸の本質がこうした労働構造にあるとすれば、それは社会保障では補えません。彼らの言う雇用の流動化という話も、実はこうした疎外化された労働者を生むだけのようにも思えます。
経営者としては、業務の効率化(競争力)は至上命題ではありますが、同時に働きがいを見いだせる環境作りも至上命題であります。私は、業務の効率化と働きやすさ、働きがいは相反しない要素だと思っています。また、そのことが本当の競争力を身につけることになるのだと考えているのです。

