人生の終わりを想像する:自己実現の先にあるもの
日曜の礼拝で感じたことの続きなのだが、クリスチャンのミッションは、イエスの弟子を増やし、その弟子がまた弟子を増やしていく・・ということだろう。
僕がダンスでお世話になっている新宿シャローム協会のサイトから引用すると、
「愛において成長し、福音を伝え、 弟子を作る」
ということに、彼らの活動は集約されている。
そのように、神に遣わされて神のために働くことが、彼らの人生の目的なのだと思う。
僕の勝手な想像ではあるが、神のために十分働くことが出来たと感じれば、幸せに人生を終わることができるのだろう。
一方、そのような目的を持たない人たちは、人生において「目的づくり」に四苦八苦している。自分らしさとか、自己実現といったことばかりを追い求め、仕事の中にしか幸せを見いだせないように自分を追い込んでいる人が多いのではないか。
自分らしさにも自己実現にも、それに先んじて「何のために」という目的が存在するはずだが、それが「自分のため」という「目先の利益」だけということになっていないだろうか。
自分の能力を開発して、仕事の能率を向上し収入を上げる。
それ自体はすばらしいことだが、これが「自分のため」だけだとしたら、その人の幸福は周囲に及ばない。そのように波及しない、その人だけの幸福というのは、ピークが過ぎれば一瞬にして終わる。目先の利益も同様だ。あぶく銭は身に付かない。
そもそも、自己実現の道半ばで、肝心の「自己」を見失ってしまう人も多いのではないか。
確固たる自己を持たずに、自己実現を目指すことは不可能であるし、目先の利益を過剰に追うことは、非常な精神的苦痛を伴うことが多いからだ。
こうしたことは、今の世相に反映しているし、今の経済の病みとも似ているように思う。
「こうありたい自分」を追いかけるのは、向上には欠かせないことだけども、その先に何があるか・・・考えなければならないだろう。
そういう意味で、人生も経済も、そして経営も同じだ。
会社という人格の生きる目的を、目先の利益に設定してはならない。
人生も、会社経営も「最期」をどうするか。これが肝心なんじゃないだろうか。

